大判例

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鹿児島地方裁判所 昭和41年(わ)219号 決定 1966年12月27日

被告人 A・T(昭二三・五・二八生)

主文

本件を鹿児島家庭裁判所に移送する。

理由

一  本件公訴事実は、「被告人は、鹿児島県立○○高等学校第三学年に在学中のものであるが、昭和四一年六月○日午後六時三〇分ごろ、鹿児島市○○町○○番地の同校運動部部室において下級生の○昭(当一六年)の下着を汚したことで同人から石を投げつけられ、スコップで殴打されたが、翌○日午前九時二〇分ごろ、同校内において呼出され右陸上部室前まで連行されるや、再びスコップ等で殴打されるものと考え畏怖心からとつさに殺意を生じ、ポケット内に隠し持つていた果物用ナイフ(刃体の長さ約九・八センチ)で同人の右脇腹を突き刺したが、治療約一ヶ月を要する開放性肝刺創兼右腹膜血腫の傷害を与えたに止まり殺害の目的を遂げなかつた」というのであるが、当裁判所の審理の結果によれば、殺意の点を除くその余の事実は、すべて認めることができる。

二  そこで、殺意の有無について判断すると、当公判廷で取調べた証拠によれば、被告人は、陸上部室前で鍵を外そうとしている○の横腹へいきなり所携の果物ナイフを突き刺し、肝右葉実質を穿通し、治療約一ヶ月を要する公訴事実記載の重傷を与えたもので、創傷の部位、程度及び攻撃の態様からみれば、殺意が認められるかの如くである。しかしながら、被告人は、検察官の取調に対し「陸上部室の中には、時折スコップ等が置いてあるのを見かけていたので、その部室に入つたら又昨日のようにスコップで殴られるかもしれないと思い、○に御免なといつて謝つたが、○は、そのまま鍵を外そうとしていた。そのとき○がもう許してくれないと考え、○の右横からポケットより取出した果物ナイフでその右腹を刺した。あの時どのような気持だつたかは興奮していて判らない。自分は、それからすぐ走つて体育教官室まで行つた。教官室でナイフに血がついているのに気が付き同時にしまつたと思つた」旨(昭和四一年六月一八日付調書)、又「昨日のようにスコップで殴られると思うと急に恐しさで一杯になり、すぐさまポケットからナイフを取り出し○を刺したが、そのとき相手を殺してやることははつきり意識していたわけではない。しかし、それかといつて相手をひるませ怪我だけにしようという考えもなかつた。脅すためナイフを持つていたわけであるから止めろといつて刃物を見せればよかつたかもしれないが、恐しさのためそのようなことをする心のゆとりもなかつた。全く無我夢中であつた。刺した後、自分は教官室の方に走つて行つたと思うが、先生から手を洗えといわれて始めて手に血がべつとりついているのに気がついた」旨(同年七月一九日付調書)犯行当時の気持を述べているところからすれば、後記のような被告人の資質的欠陥と相まつて、被告人は恐怖と狼狽のあまり事態を冷静に見つめる余裕がないまま無我夢中で本件犯行に及んだことが認められるのであつて、右の供述から進んで殺意を推認することは、困難ではなかろうか。もつとも、被告人は、司法警察員の取調に対し、「その日の朝、顔を洗うとき、学校に行つて○が殴つてきたら殴られる前に刺して殺してやる、今日は学校に行くとき刃物を持つて行こうという気が起つた」旨(昭和四一年六月七日付調書及び同月九日付調書)、又「登校したとき○原君から○が探しにきたと教えられたから、また前日のようにスコップで殴られるかもしれない、スコップで殴られたら死ぬかもしれないと思つて、その前に刺し殺そうと思つた」旨(同月八日付調書)供述し、あたかも犯行当日の朝から計画的な殺意を抱き本件果物ナイフを持ち出したように述べ、検察官もまた右の供述が本件の真相を伝えるものである旨主張するけれども、本件果物ナイフは刃渡約九・八センチメートルの比較的小型のものであるから、その形状からみて、前記供述調書で予想しているような攻撃的態度をとる相手方に対して致死的傷害を与える可能性はむしろ少いものといわなければならないし、被告人は、登校の途中○から待ち伏せられて攻撃されることをおそれて友人の○井を誘つて一緒に登校したり、登校後も○から呼び出されたら腕力のつよい級友の○地に一緒についてきてくれるよう頼んだり、○に呼び出されて本件現場にゆく途中も同人の背後から何度も「ご免な」といつて謝つたりしており、被告人は○が挑戦的であるのに対し、その暴行を回避するため終始防禦的な姿勢をとつていることなど本件の全経過を綜合すると、前記供述の如く当初から殺意を有していたものとみるのは、極めて不自然かつ唐突の感を免れないものといわなければならない。被告人はこの点につき二度目の検察官の取調の際、「警察で○を殺そうと思つていたのではない旨主張したが、いろいろ追及されてあるいはそうだつたかもしれないと言つてしまつた。それで検察官や(家裁の)裁判官の質問に対してどうにでもなれといつた半ばやけつぱちの気持で事実はその通り相違ないと言つた」旨述べ、又当公判廷でも「警察官から、こうじやないか、こうだつたろうといわれたので、そのように言わないといけないような気がして、そうですと答えた。警察官は人の気持がわからないのではないか。自分の言いたいことは書いてくれないで警察官の考えに合うことしか書いてくれなかつた。取調のときは反発を感じた」旨述べているが、被告人は、本件犯行後も極度の興奮状態が持続し、体育教官室に駈け込んできたときの顔面は蒼白であつて、目尻がつり上り、ナイフを両手で固く握りしめたままガタガタ震え、体はあたかも死人の如く硬直し、時折「○から殺される」などと口走つたりしていたが、警察に連行される正午近くになつても未だ精神状態が平静に帰していなかつた事情を考えると、それに引き続く被告人の取調が理詰めの質問や、誘導的な質問に容易に乗ぜられやすい心理状態のもとで行なわれたであろうことも推察するに難くないのであつて、前記各調書が被告人の真意に基いて作成されたものでないことは、容易に肯けるところである。それゆえ、前記司法警察員に対する各供述調書中殺意を認める部分は、いずれも措信できない。結局本件傷害の部位、程度及び攻撃の態様のみでは、被告人が殺意をもつて本件所為に出たものと認める証拠として充分でなく、被告人は恐怖と狼狽のため無我夢中となり、事態を合理的に判断する精神のゆとりを失ない、このような心理状態のもとで本件果物ナイフを威嚇のためという合理的使用の域を超えて加害のため使用するに至つたものとみるべきであつて、その所為は傷害罪と認めるのを相当とする。

三  ところで、本件犯行は、兇器の使用による犯罪として黙過し難い性質のものであり、又鹿児島県下の一流高校と目されている県立○○高等学校内における生徒間の殺人未遂事件として、ひろく世間の注目を浴びたものである。したがつて、鹿児島家庭裁判所の裁判官が事件の社会的反響を重視し、本件を罪質情状に照して刑事処分を相当と認め、少年法第二〇条により検察官送致の処分に付したことは理由のないことではない。しかしながら本件記録及び取寄にかかる少年調査記録を綜合すると、被告人は、比較的裕福な家庭の五人兄弟の末子として育てられ、その家庭は多少知的教育偏重の斜きがあつて、家族間の感情的な心の触れ合いに欠ける点がうかがわれるけれども一般的にみれば穏健な中流家庭であり、又兄弟はいずれも大学教育を受けて健全な社会生活を営み、被告人も物心両面で比較的恵まれた環境のもとで生育しつつあつたといえる。又学校における交友関係にも格別問題はなく、被告人自身に非行傾向とか犯罪親和性などは殆んどうかがわれない。それにもかかわらず、被告人があえて本件犯罪を犯すに至つたのは、被害者○の被告人に対する執拗な挑戦的攻撃的態度と、このような特異な条件のもとに触発された被告人自身の特異な資質的欠陥の結合の結果と考えられる。まず、被害者のそのような態度についてみると、当公判廷で取調べた証拠によれば、犯行前日の午後六時半ごろ、校内の卓球部室で被告人等部員が着替えをしていると○がシャツにルームネームを書いてくれといつて来たが、その場にいた数名の生徒がみなそれを断つた。被告人は自分でそれを引き受けるつもりはなかつたが、何気なく○が持つていたハンガーの端をつかもうとしたところ、同人がそれを後に引いたのでシャツが床に落ちて汚れた。○はムッとした表情になり被告人をつかまえようとしたので、被告人は入口の方へ逃げて外へ出たが、そのとき閉つた戸が、同人の後を追つてきた○の顔に当り、同人をますます立腹させた。○は中庭に出て逃げてゆく被告人の後から小石を投げたが当らなかつた。以上が本件のそもそもの発端である。それは極めて些細なことであり、取るに足りない出来事であるが、○はなぜか被告人に対して執拗な攻撃を加えた。○は校内体育館の横で、帰宅すべく校門の方へ向つて歩いていた被告人を見つけてスコップを持つて追いかけ、柄の方を振り回して襲いかかつた。被告人が鞄でこれを防ぎながら校門の方へ逃げたところ、○はなおもスコップをもつて追いかけ、被告人が靴を脱いで懸命に走り学校から七、八〇〇メートル離れた友人の○井宅に素足のまま逃げ込んだが、○はこれを追つて同家玄関の前に至り、大声で「三年生のくせに逃げて。出てこい。かくれているのは知つてるぞ。叩き殺してやる。出てくるまで待つてるぞ。」などと怒号し、このようなことが四〇分余りも続いた。○は、翌日になつても被告人に対する追及の手をゆるめず、第一時間目の授業開始前から被告人を探した。第一時間目が終つた午前九時二〇分ごろ、○は、ついに被告人を呼び出し、体育部室の方に連れ出した被告人は○の後に従いながら「まだ腹を立てているのか。ご免な。」といつて再三謝つたが、聞き入れず、本件現場でも被告人がなおも「ご免な。」といつて詫びたがこれに一顧をも与えず、陸上部室の鍵を開けようとしていた。以上のような経過の後本件が発生したものである。次に被告人の資質的欠陥の側面について考えると、当公判廷で取調べた証拠によれば、被告人は、前記の如く○に追いかけられさらに○井方に閉じ込められて四〇分余りの間脅迫されたので、極度に恐怖し、その夜は食事もろくにのどを通らないほどであつたし、犯行のあつたその日は、朝から○の姿におびえていた。鹿児島少年鑑別所作成の鑑別結果通知書によると、被告人の性格は小心かつ神経質で、些細なことに拘泥しがちな一面を持つと同時に、自我損傷には敏感で他から干渉されることを極度にきらい、むきになつて反発したり拒否の態度を示し易いこと、知的水準は一応一流高校生としてのそれに達しているが、精神生活の貧困が目立ち、理屈つぽく、社会的視野が狭く自己本位であること、したがつて情緒面や生活観等で未熟さを残し、危機的場面に直面すると短絡的な思考判断が働き、不合理な反応を惹き起す脆さとなつていることが指摘されている。結局被告人は前記の如き被害者の執拗な挑戦的態度という特殊条件下にあつて、右の如き性格から異常な恐怖心を持つに至り短絡的に過度の防衛意識が形成されて本件犯行を惹起したものと考えられる。そして、普段はこのような資質的欠陥が日常生活の中で何事もなく経過していると考えられる意味で本件は、特殊環境下における一過性の犯罪と目すべきである。

四  そこで、被告人の処遇について考える。まず、本件犯行は、前記の如く被害者と被告人間の些細な感情の反発に端を発するものであるが、この間被害者である○は、終始挑戦的攻撃的であつたのに、被告人は、公訴事実の如くとつさに攻撃を加えるまでは、被害者の暴行を回避することに腐心していたものであつて、被告人が果物ナイフを用意して登校し、威嚇のためという使用目的を超えてそれを使用するに至つたことや、本件は少しく冷静に考えればより合理的な解決を被告人において期待できたのに、それをしなかつたという点では、被告人においても責められるべきこと勿論であるが、むしろ被害者側の仮借なき挑戦と攻撃が本件発生の重大な原因をなすものとして、被害者は、被告人にも増して責めらるべき事案であるといわなければならない。本件記録によると、犯行の前後を目撃した同級生はいずれも取調の警察官に対し、司直の公平な処置を希望する趣旨の供述をしているが、当裁判所もこれらの声に謙虚に耳を傾けなければならないと考える。さらに、本位は、前記の如くかなりの重傷であつたが、幸い被害者は一命を取り止めたこと、被告人はかつて非行歴もなく、本件も前記の如く一過性の犯罪であつて、再犯の虞がないこと、又被告人は平素は、普通の高校生として勉学にいそしみ、本件後も幸い県立△△高等学校に転校を許されて新しい環境のもとで、ひたすら上級学校への進学を目ざして学業に励みつつあること、被告人は、現に年齢一八歳六月の少年であることなどに徴すると、本件につき刑罰をもつて臨むことは決して妥当な措置でないことは明らかである。それゆえ、当裁判所は、以上諸般の事情にかんがみ、本件を鹿児島家庭裁判所による適切な処遇に委ねるのを相当と思料する。

よつて、少年法第五五条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 藤田哲夫 裁判官 徳松巖 裁判官 橋本享典)

参考

受移送家裁決定(鹿児島家裁 昭四二(少)五号 昭四二・三・三一決定 報告四号)

主文

この事件について、少年を保護処分に付さない。

理由

本件は、昭和四一年七月一二日鹿児島家庭裁判所が検察官送致し、鹿児島地方裁判所において審理のうえ、少年法第五五条により再送致されて当庁に係属するにいたつたものである。

非行事実は、本件記録中の鹿児島施地裁判所認定のとおりである。

当裁判所は、相当期間少年を試験観察に付して経過をみまもつたのち審判した結果、少年は○○○大学建築学科の入学試験に合格し、父の勤務先の関係団体の共済制度として新設された○○年金○○学生寮に入寮することを許され、希望にもえ身心ともに著しく落着きをとりもどしたこと、本件非行についても冷静にゆとりをもつて検討できるまでにいたり心から反省していることを認めることができる。

よつて、少年法第二三条第二項により、主文のとおり決定する。

(裁判官 三井善見)

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